真岡が“日本一のいちごのまち”になるまで

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更新日:2023年03月23日

地域の協力体制が成し得た「いちご王国栃木の首都もおか」

真岡市は“日本一いちごを生産するいちごのまち”として、今やいちご王国とちぎを牽引する存在となりました。しかし、いちご栽培が始まった当初から順調にいちごを栽培していたわけではありません。品質改良や栽培技術の向上に長年取り組んだ研究機関の人々や新鮮高品質の栽培指導、流通ルートの開拓、真夏の炎天下の育苗、冬は厳寒の早朝の収穫作業などに励んだ農家の人たちなど、関係者の不断の努力があったからこそ成し得た“日本一のいちごのまち”なのです。

今でもいちご農家同士が協力し合い、知識・技術を高めていく風土は変わらず、高みを目指していちごを栽培しています。真岡市が日本一のいちごのまちになるまでの歴史を紐解いてみましょう。

足利から真岡へ、いちご栽培の伝承

いちご ダナー

栽培当初のダナーという品種

真岡市(旧二宮町)の東物井の地区でイチゴ栽培が本格的に始まったのは昭和31年のこと。麦作に代わる収益性の高い裏作としてイチゴが導入されたのがイチゴ栽培の始まりと言われています。

戦後間もない頃、足利郡御厨町(みくりやまち)(現・足利市)の農業技術研究科・仁井田一郎氏は、減反政策により向上しない農家の収益を上げるため、稲の裏作となる作物を探し、イチゴと出会いました。自分の圃場で実証栃木県でいちご栽培が盛んにするためいちご栽培に取り組み、昭和25年(1950年)頃には栃木県でいちご栽培が拡大していきました。

旧二宮町(現・真岡市)東物井地区の向原農研クラブは、米の裏作として麦より良いのではないかと考え、いちご栽培を教えてもらうため地域の農家で仁井田氏のもとへ何度も通い、東物井でイチゴ栽培を始めました。

試行錯誤のいちご栽培、日本一への道のり

昔の様子

初期において、いちごは露地栽培だったため、病害虫を防ぐため早期にビニールを用いる「トンネル栽培」という方法が用いられましたが、十分な保温が出来ませんでした。

そこで高冷地育苗栽培や電照促成栽培などの新しい栽培技術を次々と試行しました。特に夜冷育苗栽培法は、早生出荷に大いに貢献したといわれています。真岡の地に合った栽培技術があれば、農家同士で知識を教え合い、イチゴ栽培に力を入れていきました。

いちご

真岡は冬期に晴れの日が多く、雨が少ない気候はいちご栽培に適していたこともあり、東京市場に近い立地条件なども相まって生産性を高め、いちごは旧二宮町を代表する農作物として全国に知られるようになりました。

平成6年以来、旧二宮町はいちごの生産額・収穫量において全国第一位を維持しました。平成21年に真岡市と合併してからも変わらず、全国第一位の座を守り続け、真岡市は「日本一のいちごのまち」として歩みを進めています。

いちご王国ロゴマーク

栃木はいちご王国として知られていますが、真岡市はその中でも一番の生産量を誇るまちとして、2023年に「いちご王国栃木の首都」を宣言しました。

真岡のいちご発祥の地

いちご発祥の地

東物井の地区には「二宮 いちご発祥の地」の石碑があります。

イチゴ栽培を広めるために尽力した向原農研クラブの方々の名前が刻まれています。

場所:真岡市物井 栃木県道187号線沿い

日本一の真岡のいちごを支える、真岡のいちご農家

インタビュー写真

祖父の代から続く実家の農家で就農。35アールの広大な土地でイチゴを栽培し、加工、商品企画、「猪野さんちのいちご農園」の運営など幅広く担当している、株式会社雄の猪野麻美さん。

“真岡のいちご”を支える一人として、お話を伺いました。

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