真岡の歴史

更新日:2024年04月26日

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これまでの歩み

真岡市の誕生

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昭和29年3月に真岡町、山前村、大内村、中村の四町村が合併し「真岡町」が誕生。10月に市制施行し「真岡市」(人口41,872人、7,158世帯)が誕生しました。
また昭和29年5月に久下田町、長沼村、物部村が合併し「二宮町」が誕生しました。

その後、平成21年3月に真岡市と芳賀郡二宮町が合併し、現在の市域となり、令和6年10月1日、真岡市は市制施行70周年を迎えます。

成長・発展を目指す工業団地

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工業団地は昭和43年に第1,第2工業団地が、平成10年には第3,第4工業団地、平成21年には、第5工業団地と大和田産業団地が造成を完了し、現在は、全体で約100社が操業しています。

東西を結ぶ北関東自動車道と、宇都宮テクノポリスと筑波学園都市等を南北に結ぶ鬼怒テクノ通りとの結節点となる真岡インター周辺には、広大な工業団地が広がり、91社もの企業が操業する一大工業エリアとなっています。

歴史と伝統を受け継ぐ木綿

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かつて江戸時代、真岡といえば木綿の代名詞として知られていました。丈夫で質が良く、絹のような肌ざわりの真岡木綿は絶大な人気を博し、江戸の問屋による木綿の仕入高の約8割が真岡木綿であったとの記録も残っています。

その後、開国による輸入錦糸の流入などで真岡木綿は衰退し、戦後はほとんど途絶えていましたが、昭和61年に真岡商工会議所が中心となって「真岡木綿保存振興会」を立ち上げ、昔ながらの技術と伝統をしっかりと受け継いで今に伝えています。

日本一のいちごのまちへの道のり

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東物井の地区でいちご栽培が本格的に始まったのは昭和31年のこと。初期は、露地栽培だったため、十分な保温が出来ず、新しい栽培技術を次々と試行し、真岡の地に合った栽培技術があれば、農家同士で知識を教え合い、いちご栽培に力を入れていきました。
冬期に晴れの日が多く、雨が少ない気候はいちご栽培に適していたこともあり、東京市場に近い立地条件なども相まって生産性を高め、いちごは旧二宮町を代表する農作物として全国に知られるようになりました。

平成6年以来、旧二宮町はいちごの生産額・収穫量において、平成21年に真岡市と合併してからも変わらず、全国第一位の座を守り続け、真岡市は「日本一のいちごのまち」として歩みを進めています。

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