挑戦し続けたエネルギーを、今度はまちに。 枠にとらわれず、困りごとの解決を
【まちつくインタビュー特別編・真岡市議会議員インタビュー】
市民から直接選挙で選ばれる市議会議員。市民の声を行政に届ける身近な存在ですが、一人ひとりが「どんな人なのか」を知るための情報が少ないと感じていました。そこで!まちをつくる一人の市民としての議員さんはどんな方なのか?まちつくインタビュー特別編としてインタビューさせていただきました!インタビューの趣旨に賛同し、ご協力いただいた議員のみなさまを、議席順に掲載していきます。
(聞き手:真岡市地域おこし協力隊 粟村千愛)

今回取材したのは、宝飾品や時計の修理、販売をする「時計・宝飾スダ」を営む須田正彦さん。これまでのご経歴や、議員として大切にしている考え方、目指すまちづくりについて伺いました。
須田 正彦(すだ まさひこ)
真岡市(旧二宮町)で、祖父の代から続く時計店の長男として生まれる。神奈川大学卒業後、魚市場で働き貯金してアメリカへ。語学を学んだのち、米国宝石学協会Carlsbad校で学び宝石鑑定士の資格を取得。宝石の輸入卸会社で働いたのちUターン。2025年の真岡市議会議員補欠選挙に初出馬し当選。
悔しさをバネに渡米、宝石鑑定士の資格を取得
ーはじめに、ご経歴を教えてください。
旧二宮町で祖父の代から続く、須田時計店の長男として生まれました。父からは、家業にとらわれず好きな道をいきなさいと言われ、大学に進学すると広い世界に憧れて貿易に興味を持つように。厳しいゼミに所属して必死に勉強し、貿易会社から内定をいただくことができました。
ところが、会社都合で内定が取り消しに。理由は採用枠の変更により自分より英語ができる人のみを採用するとのこと。英語ができる・できないで判断されたことが悔しくて、そのとき、しっかり英語を学ぶために「絶対にアメリカへ行こう」と決めました。
まずはアメリカ行きの資金をためようと、一番給料の良い会社を調べたところ、それは魚市場でした。関東圏の魚市場の採用は全て終わっていましたが、栃木県のある魚市場の人事担当者が高校の先輩で、会ってくれるというのです。正直に、近い将来アメリカへ行くために就職先に選んだことを話しましたが、「働くうちに気持ちは変わるかもしれないから」と採用してくれました。
卸売市場の冷凍課に配属され、朝の3時からフォークリフトに乗って市場に魚を運ぶ日々。過酷でした。昼夜逆転しているので、友達とも連絡が取れず、遊ぶ余裕も飲食を楽しむ時間もありません。3年ほど働いたところで腰を壊し、冷凍庫の中で倒れてしまいました。仕事をしながら毎日英語はコツコツ勉強し、お金も溜まったので、体力が回復すると念願のアメリカへ飛び立ちました。
ーアメリカではどんな生活でしたか。
サンティエゴにある2年制のコミュニティカレッジに入学し、ABCの発音から学び直しました。店でコーヒーを頼んでいるのにコーラが出てくるんですよ。読み書きはできるけれど話が通じないし話している事が聞き取れない、最悪でした。とにかく話せるようにならなければとフリースクールにも通い、メキシコ人コミュニティに入って一緒に英語を学びました。勉強の甲斐あって、リスニングとスピーキングの成績が向上。学校側から4年制大学への編入を勧められました。悩んで家族に電話すると、父が「アメリカに世界的に有名な宝石学校がある。日本で資格を持っている人はいないから、一度見てみては」と言ったのです。
学校見学に行ってみると、みんな必死に宝石学を勉強していました。入学について説明を受ける中で、生活費への不安が生まれました。すると学校の事務職のおばさんが「私の家のベッドルームを1部屋貸すから来ればいい」と言ってくれたのです。様々な方のご厚意のおかげで、米国宝石学協会Carlsbad校への入学を決心しました。プログラムは1年。お金がないので、ご飯は毎日家で作ったサンドイッチ。宝石学という未知の学問を学ぶ授業についていけず、毎朝一人教室で勉強していました。人生で一番勉強したと思います。はじめは一人で勉強をしていましたが、徐々にクラスメイトも一緒に勉強するようになり、無事にみんなで卒業することができました。当時の仲間とは今でも交流があります。
ーすごいエネルギーですよね。挑戦する力はどこから湧いてきますか?
最初は悔しさや、学業偏見を見返すという意地でした。ただ次から次へと困難にぶち当たり望んだ結果が出なくても、やった分だけ何かが残ることに気がつきました。結果が出なくて落ち込んでも、またやればいいんです。諦めないことが大切です、人生は一回だけですから。

自分のためから「人のため」に。市議への挑戦
ー資格取得後に帰国されてからは、どのように現在に至りますか?
30歳手前で帰国すると、日本は不景気。就職先がなかなか見つからず、決まった会社は今でいうブラックな宝石の輸入卸会社でした。すぐにやめてやろうと思いましたが、扱っている石の種類が多い宝飾業界で有名な会社で、働いているうちに誰よりも知識がつき、それに伴い多くの会社から信頼してもらい、自身の売り上げも上がるようになりました。激務でしたがやりがいもありましたね。しかし35歳ごろ、無理がたたって体はボロボロに。父が体調を崩したこともあり、地元に帰ることにしました。
地元に戻ると、前職との仕事内容のギャップがあり、時間があることがストレスに。地域の消防団や商工会からお声かけいただき、地域活動に参加するようになりました。町内では高齢化が進み、区の役員なども担うように。とにかく人がいないんですよね。お店にくるお客さんと話をしていても、みなさんいろいろな困り事があって。地域をより良くできないかと考え行動するようになりました。
そんなとき、市議会議員の補選があり、出馬してみないかと声をかけられました。いまの自分に、人のため、真岡のために力を割ける余裕があるだろうかと何度も自問しました。家族に相談すると、「一度きりの人生、人のために何かやってみたら」と背中を押されました。反対されると思っていたのに、面白いですよね。それで決心がつき、やります!と答えました。当選させていただき、今があります。
ー議員になられて、今後目指すまちづくりについて教えてください。
議員になってから、多くの方から様々な困りごとの相談を受けることが増えました。それだけ悩んでいる人、声をどこに伝えたら良いかわからない人がいるんだと実感しています。真岡市民が、みんなが笑顔で暮らせるまちになるといいですね。
まずやってみて、ダメならやめる、良ければ更に伸ばす。「議員はこうあるべき」という固定観念に固執せず、常に現状に疑問を持ちながら、真岡市民が笑顔で暮らせるまちづくりのために活動していきたいです。
真岡市議会議員インタビュー・須田正彦さん (PDFファイル: 1.1MB)
取材、文章、写真:粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)
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総合政策部 プロジェクト推進課 まちづくり推進係
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更新日:2026年03月31日