弱い立場にある人を守れる活動を。 子どもの介護を経て見つめる、まちの未来
【まちつくインタビュー特別編・真岡市議会議員インタビュー】
市民から直接選挙で選ばれる市議会議員。市民の声を行政に届ける身近な存在ですが、一人ひとりが「どんな人なのか」を知るための情報が少ないと感じていました。そこで!まちをつくる一人の市民としての議員さんはどんな方なのか?まちつくインタビュー特別編としてインタビューさせていただきました!インタビューの趣旨に賛同し、ご協力いただいた議員のみなさまを、議席順に掲載していきます。
(聞き手:真岡市地域おこし協力隊 粟村千愛)

今回取材したのは、農業、商業、教育、福祉と幅広い分野でさまざまな役職を経験されている大瀧和弘さん。これまでのご経歴や、議員として大切にしている考え方、目指すまちづくりについて伺いました。
大瀧 和弘(おおたき かずひろ)
真岡市生まれ。東京農業大学短期大学を卒業後、農業、不動産会社勤務、賃貸業などを経て2011年に真岡市議会議員選挙に初出馬し当選。栃木県商工会議所青年部連合会会長や、JA栃木青年部連盟委員長、市の青年農業経営者協議会、4Hクラブなどの会長を歴任。明治大学公共政策大学院修了(公共政策修士)。自民党真岡支部幹事長、全国重症心身障害児(者)を守る会栃木県理事。宅地建物取引士、公認1級ラジオ体操指導士、産業用無人ヘリオペレーターなどの資格も持つ。
子どもの介護の必死な日々の先に
ーはじめに、ご経歴を教えてください。
真岡市の米農家の長男の生まれです。住み込みで働く人がいるような比較的広い自作地で農業をしており、後を継ぐものとして育てられました。そこに疑問もなかったです。東京農業大学短期大学を卒業すると地元に戻り、農家として働き始めました。しかし、しばらくすると農地が区画整理の対象になり、宅地化されることになったのです。これからは土地や建物の知識をつけなければと、宅地建物取引士の資格をとるなど勉強を始めました。やがて、持っていた田んぼは、ガスや水道や公園などが整備された状態で換地されました。
そのころ、結婚して子どもが生まれました。しかし、生まれる時に病院で医療過誤があり、子どもは何度も生死の縁を彷徨い、一命は取りとめましたが365日24時間、介護が必要な状態になりました。少しでも状態がよくなればと病院を探し、子どもが3歳になる年に東京都多摩市の島田療育センターに通所することに。妻は仕事を辞め、私は東京の不動産会社に就職して、一家で多摩市に移り住みました。その後、下の子が生まれました。
10年間、在宅介護しました。数時間ごとに、鼻の管を通して食事を入れ、痰の吸引、吸入をしなければなりません。妻が日中を、私が仕事から帰ったあと夜を担当していました。万が一でも寝過ごすことがないように、夜でも電気とテレビはつけっぱなしでしたね。あの頃はやたらと喉が渇いて、今思うといつも緊張していたのだと思います。状態が悪化することもよくあったので、とにかく私も妻も毎日必死でした。それでも、特別支援学校に入学するなど、とても充実した日々でした。
下の子が小学生になる時に、実家を継ぐという事情もあり、真岡に帰ってきました。39歳のときです。栃木に戻るにあたって、在宅での介護をするためにいろいろな病院を探しましたが、在宅は難しいことがわかり、上の子は宇都宮市の病院に入院することになりました。病棟から渡り廊下で支援学校でつながっていて、通学したり、病棟に先生に来てもらい、授業を受けることができます。その支援学校のPTA会長も務めるようになりました。
ーお子さんに寄り添ってこられたのですね。地域に戻られてからは、どのように過ごされましたか。
農業をしながら、家業である土地建物の賃貸管理を始めました。誘われて農業関係の青年農業経営者協議会に入ったほか、商工会議所青年部、小中学校のPTAなど一通りの活動をして、会長も経験しました。どうしても自営業だと頼まれやすいんですよね。何かに所属していないと地域とのつながりを持ちにくいので、自分のためでもありました。
ーそれにしても、すごい活動量ですね。断ろうと思われたことは…?
断ったらいいじゃんと思いますよね(笑)なぜこんなに引き受けたのか…。学校や病院関連の活動は、子どもを思う気持ちでやりました。子どもが入院することになって、すごく時間ができた感じがしたんです。人にあてにされるのは初めてで嬉しかったですし、交流も嫌いじゃなかったので、いろいろな役職を経験させていただきました。

弱い立場にある人を、一人も漏れなく守る
ー議員になられたきっかけは?
いろいろな活動をしていく中で、仲間から推されてなった形です。初出馬したのは3.11が起きた年の選挙で、一度全ての活動がストップしたことを今も覚えています。
議員になり、政治や行政について一度しっかり勉強したいと思い、明治大学の公共政策大学院にも通いました。授業のある日は週4日、帰りは終電に乗って、家に着くのは午前1時過ぎでしたね。ハードでしたが、大学を卒業したばかりの人も、地方から来ている人も、省庁の人も勉強しに来ていて、良いネットワークができました。危機管理や災害対応、都市計画などのさまざまな事例を見ることができ、そこでの学びは、今もいろいろなところで生きていると感じます。
ー今後、どんなまちづくりを目指していますか。
人口減少は全国的な課題なので、よく言われている「選ばれるまち、真岡」をなんとか実現させなければいけないと考えています。雇用の場の創出、働くことを支える体制の整備が重要です。私の介護中は、男性に育休なんてありませんでしたし、本当に子どもが危ないときでも堂々と退勤できない状況がありました。そういった事情がある際のサポートや、特に女性が働きやすい環境づくりをしていきたいです。
そのほかにも、車のない人たちの交通手段がなかったり、学校や病院で職員が疲弊していたりと、さまざまな課題もあります。私の活動のテーマは、「もっとも弱い者を一人も漏れなく守る」こと。私の子どももその一人なので、障害児や病児、高齢者など弱い立場にある人たちのことを念頭に置いて活動していきたいと思っています。市役所やmonacaができて、真岡のまちが垢抜けて明るくなってきているので、そういった部分を生かし、より賑やかで明るいまちにしていきたいです。
真岡市議会議員インタビュー・大滝和弘さん (PDFファイル: 939.4KB)
取材、文章、写真:粟村千愛(真岡市地域おこし協力隊)
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更新日:2026年03月31日