二宮尊徳年表

更新日:2023年03月27日

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二宮尊徳年表一覧
西暦 和暦 年令 尊徳翁周辺の出来事
1698年 元禄11年   小田原藩大久保家より分家した旗本の宇津家(教信)が桜町領4000石を分地される(桜町領の起源)
1699年 元禄12年   桜町陣屋を創設する
1787年 天明7年 1歳 二宮金次郎栢山村(現小田原市)に生まれる
1790年 寛政2年 4歳 弟「友吉」生まれる
1791年 寛政3年 5歳 酒勾川決壊、田畑流出する
1799年 寛政11年 13歳 松苗200本を買い、酒勾川に植える
弟「富次郎」生まれる
1800年 寛政12年 14歳 父「利右衛門」が亡くなる(享年48歳)
1802年 享和2年 16歳 母「よし」が亡くなる(享年36歳)
一家離散する
金次郎は伯父万兵衛方に寄食する
1803年 享和3年 17歳 菜種を収穫
空き地に捨苗を植え、米1俵を得る
「積小為大」の理を体得する
1806年 文化3年 20歳 独立し、二宮家再興に着手する
1810年 文化7年 24歳 田畑1町4反余となる
1812年 文化9年 26歳 小田原藩家老服部家の若党となる
1817年 文化14年 31歳 「きの」と結婚
田地3町8反余となる
1818年 文政元年 32歳 服部家の家政再建を開始
大久保忠真公より善行表彰される
1819年 文政2年 33歳 長男「徳太郎」が誕生するが間もなく病死する
「きの」と離婚
1820年 文政3年 34歳 波子と再婚する
斗舛を改良し賞せられる
1821年 文政4年 35歳 桜町(現真岡市)の調査開始
嫡子「弥太郎」誕生
1822年 文政5年 36歳 小田原藩に登用される
名主格役として桜町領の復興を命じられる
1823年 文政6年 37歳 田畑、家財など一切を売払い、一家をあげて桜町へ移住する
1824年 文政7年 38歳 長女「文子」が誕生する
1826年 文政9年 40歳 御組徒格に昇進する
1827年 文政10年 41歳 村役人の辞表続く
豊田正作赴任で仕法困難に陥る
1828年 文政11年 42歳 辞表届け提出するも却下される
1829年 文政12年 43歳 成田山で断食参篭
この件以降、復興事業は順調に推移する
1831年 天保2年 45歳 桜町領第一期仕法終了
忠真公より「以徳報徳」の賛辞を受ける
1833年 天保4年 47歳 青木村(茨城県桜川市)の仕法開始
茄子を食べ凶作を予知する
1834年 天保5年 48歳 三才報徳金毛録を著す
徒士格に昇格
報徳訓を著作する
1835年 天保6年 49歳 茂木藩の仕法開始
1836年 天保7年 50歳 報徳訓完成
烏山藩の救済
1837年 天保8年 51歳 小田原藩内の貧民を救済
大久保忠真公が亡くなる
1842年 天保13年 56歳 幕臣に登用
いみなを尊徳と名乗る
1844年 弘化元年 58歳 日光仕法雛型作成を受命
1845年 弘化2年 59歳 相馬藩の復興仕法を開始する
1846年 弘化3年 60歳 日光仕法雛形完成(60冊を献上)
1848年 嘉永元年 62歳 東郷陣屋に一家して移転する
1852年 嘉永5年 66歳 弥太郎も文子も結婚する
1853年 嘉永6年 67歳 日光仕法着手
日光奉行手付に転任
「文子」が亡くなる(享年30歳)
1855年 安政2年 69歳 今市報徳役所に移転する
1856年 安政3年 70歳 御普請役に昇進する
10月20日永眠

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