二宮尊徳年表
西暦 | 和暦 | 年令 | 尊徳翁周辺の出来事 |
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1698年 | 元禄11年 | 小田原藩大久保家より分家した旗本の宇津家(教信)が桜町領4000石を分地される(桜町領の起源) | |
1699年 | 元禄12年 | 桜町陣屋を創設する | |
1787年 | 天明7年 | 1歳 | 二宮金次郎栢山村(現小田原市)に生まれる |
1790年 | 寛政2年 | 4歳 | 弟「友吉」生まれる |
1791年 | 寛政3年 | 5歳 | 酒勾川決壊、田畑流出する |
1799年 | 寛政11年 | 13歳 | 松苗200本を買い、酒勾川に植える 弟「富次郎」生まれる |
1800年 | 寛政12年 | 14歳 | 父「利右衛門」が亡くなる(享年48歳) |
1802年 | 享和2年 | 16歳 | 母「よし」が亡くなる(享年36歳) 一家離散する 金次郎は伯父万兵衛方に寄食する |
1803年 | 享和3年 | 17歳 | 菜種を収穫 空き地に捨苗を植え、米1俵を得る 「積小為大」の理を体得する |
1806年 | 文化3年 | 20歳 | 独立し、二宮家再興に着手する |
1810年 | 文化7年 | 24歳 | 田畑1町4反余となる |
1812年 | 文化9年 | 26歳 | 小田原藩家老服部家の若党となる |
1817年 | 文化14年 | 31歳 | 「きの」と結婚 田地3町8反余となる |
1818年 | 文政元年 | 32歳 | 服部家の家政再建を開始 大久保忠真公より善行表彰される |
1819年 | 文政2年 | 33歳 | 長男「徳太郎」が誕生するが間もなく病死する 「きの」と離婚 |
1820年 | 文政3年 | 34歳 | 波子と再婚する 斗舛を改良し賞せられる |
1821年 | 文政4年 | 35歳 | 桜町(現真岡市)の調査開始 嫡子「弥太郎」誕生 |
1822年 | 文政5年 | 36歳 | 小田原藩に登用される 名主格役として桜町領の復興を命じられる |
1823年 | 文政6年 | 37歳 | 田畑、家財など一切を売払い、一家をあげて桜町へ移住する |
1824年 | 文政7年 | 38歳 | 長女「文子」が誕生する |
1826年 | 文政9年 | 40歳 | 御組徒格に昇進する |
1827年 | 文政10年 | 41歳 | 村役人の辞表続く 豊田正作赴任で仕法困難に陥る |
1828年 | 文政11年 | 42歳 | 辞表届け提出するも却下される |
1829年 | 文政12年 | 43歳 | 成田山で断食参篭 この件以降、復興事業は順調に推移する |
1831年 | 天保2年 | 45歳 | 桜町領第一期仕法終了 忠真公より「以徳報徳」の賛辞を受ける |
1833年 | 天保4年 | 47歳 | 青木村(茨城県桜川市)の仕法開始 茄子を食べ凶作を予知する |
1834年 | 天保5年 | 48歳 | 三才報徳金毛録を著す 徒士格に昇格 報徳訓を著作する |
1835年 | 天保6年 | 49歳 | 茂木藩の仕法開始 |
1836年 | 天保7年 | 50歳 | 報徳訓完成 烏山藩の救済 |
1837年 | 天保8年 | 51歳 | 小田原藩内の貧民を救済 大久保忠真公が亡くなる |
1842年 | 天保13年 | 56歳 | 幕臣に登用 いみなを尊徳と名乗る |
1844年 | 弘化元年 | 58歳 | 日光仕法雛型作成を受命 |
1845年 | 弘化2年 | 59歳 | 相馬藩の復興仕法を開始する |
1846年 | 弘化3年 | 60歳 | 日光仕法雛形完成(60冊を献上) |
1848年 | 嘉永元年 | 62歳 | 東郷陣屋に一家して移転する |
1852年 | 嘉永5年 | 66歳 | 弥太郎も文子も結婚する |
1853年 | 嘉永6年 | 67歳 | 日光仕法着手 日光奉行手付に転任 「文子」が亡くなる(享年30歳) |
1855年 | 安政2年 | 69歳 | 今市報徳役所に移転する |
1856年 | 安政3年 | 70歳 | 御普請役に昇進する 10月20日永眠 |
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更新日:2023年03月27日